関西に引っ越してきてもうすぐ5年になる。東京から関西に越してきて一番感動しているのは、日本の文化や伝統の奥行を肌で感じられる機会が断然多いことだ。今では東京の文化の発展が、表面的なものや時代に振り回されている場合も多いのではないかすら思えてしまう。関西の神事や伝統行事は五感を駆使したものが数多く残っている。先日初めて、東大寺二月堂で行われる修二会(「お水取り」と言ったほうが解りやすいのかも)の見学に行った。
修二会(しゅにえ)は東大寺の開山良弁僧正の高弟、実忠和尚が天平勝宝4年(752)創始した行事で、以来今日まで継続されている。この行事は、我々の日常に犯してしまっているさまざまな過ちを、二月堂の本尊である十一面観音の前で懺悔するという意味で行われるわけだが、古代から鎮護国家、天下泰安、五穀豊穣、万民快楽などを祈った。本来はの二月初めから行われ二月に修する法会であるために、”修二会”と呼ばれた。二月堂の名の由来にもなっている。
修二会の本業は、3月1日~3月14日まで行われるお松明が有名だ。これはもともと二月堂に上がる練行僧侶の道明かりとして灯されはじめた。毎日夕刻(19時ごろ)から、僧侶が、長さ約5m重さ40㌔ほどの大きな松明を手に火をともし、駆けながら二月堂のL字回廊を照らすのだ。そのわずか数分の出来事は、静寂した夜空の下ではゆっくりとそして一瞬のようにも過ぎていく。回廊を駆け廻るお松明は10本ほどのため時間にして20分~30分で終わってしまうのだが、目を凝らし、耳を澄まし、わずかな変化も逃さず体験しようとすると、闇夜はまるでスクリーンの中のように我々に魔法をかける。私の体は遠い昔に聞いたかのような足音や声に揺れ、お松明の燃えさかる炎の音・匂いに震え、私の生まれる前の微かな記憶を体が思い起こすかのようだ。遠い過去の音と懐かしい匂いを感じながらひと時は過ぎ去っていく。こうして伝統を絶やさないことは、感覚的なアイデンティティーを覚醒させることでもあるのではないだろうか。
このように数多くの文化伝統が今に生き、今日もまた私の身体を揺さぶるのだ。