先日、作曲家の細川俊夫(1955~)氏のトークイベントに参加した。
細川俊夫氏は、主に海外で活躍する作曲家で、能の演目でオペラを創り上げている。一見、音楽と日本のスナップ写真はジャンルが異なるが、根底に流れる感覚は通じるものがあるのではないだろうか。
細川氏は海外生活が長く、日本から離れてることで日本の歴史や地域性をつよく意識するようになったという。
西洋の音楽は「調整された音楽」であり、構造で「永遠」を求めようとする。一方の東洋、ことに日本の能や文楽などの音楽は、ひとつの音自身がカリグラフィーのように、誕生から発展を経て消滅へ、まるで人の一生のように歩む。決して「調整的」な音楽ではないのだ。
西洋音楽が「永遠」を追求するのに対し、日本のそれらの音楽は「無常」を奏でようとしているのではないか?と氏は言う。
能には「橋掛かり」という揚幕から本舞台へと繋がる長い廊下がある。そこは「あの世」と「この世」を結ぶ道であり、「生」と「死」を結ぶトンネルでもある。主人公のシテは”シャーマン”的な要素も持つ。彼が声を出す(歌う)ことで自然と一体化し、さまよえる魂は浄化されるのだ。
私自身も戦後の日本のスナップに「無常性」と「浄化作用」を感じることがあった。それがどこから来るものなのか気付きにくかったのは、氾濫する西洋文化に惑わされていたからなのかもしれない。
能は魂の癒しのドラマである。能は多くの場合、主人公は亡霊である。
この世に悲しみの体験があり、その心の悲しみ、執着から解放されることなく、あの世に行った亡霊が、再びこの世(能舞台)に帰ってきて、僧の前で自分の悲劇を語り、歌い、歌うことによって、その執着から解放され、あの世に還っていく魂のドラマが、多くの能のテーマである。能は、人間の深い根源的な感情を描き出し、それを浄化させる劇である。(細川氏テキストより抜粋)