今回初めて、少しだけKYOTO GRAPHIE京都国際写真祭の運営側のお手伝いをさせて貰っていて、考えさせられる事が本当に多い。
はじめに思ったのは、東京と京都の発信側と受信側も含めての意識の違い。
東京の発信者は、ざっくり見て同じ嗜好を持つ仲間や権威に向けての内向きの発信に思える場面をしばしば感じることがあった。もっとも最近は、SNSの発達もあるので、状況は好転しているのかもしれない。。
一方の京都は、と言っても京都グラフィーに関に関しての話になるのだけれど、多様性に上手く付き合っている雰囲気がある。
展示ジャンルの選択も様々であるし、展示や会場も写真だけをみせるのでなく、他の分野との融合やコラボも上手くこなせている。それは会場選びから始まり、企画されたイベント内容やフェスティバルを支えるスタッフの方への配慮へも発揮されており、良い意味で柔軟性があるように思える。
ボランティアスタッフなどは、若者と年配の方が多く、毎年楽しみに参加している方にも良く会う。
例えば、はじめは写真に興味なかったが、普段非公開の場所に入場できるので足を運び出したら楽しくて、毎年楽しみに参加しています、、など。
先日足を運んだイベント「ゴリラ楽&山極壽一と茂山千三郎によるトーク」も非常に面白かった。
これは、京都グラフィー出展写真家のイザベル・ムニョスの作品「family Album」での被写体のゴリラに因んだ企画で、テキストも書かれている京都大学総長でゴリラ研究の第一人者 山極壽一氏のお話と、茂山千三郎氏によるゴリラネタの創作狂言、お二人でのトークショーと言う内容。 狂言は、狂言を全く知らない方でも充分に楽しめる内容で、山極壽一氏のお話はとても豊かなものだった。
ゴリラには執着心がなく
人は言葉を操るようになり執着が生まれはじめた。
そして大きな翳りを背負う我々の時代。
う〜ん。。