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2016年 02月 01日
先日、京都造形大学 春秋座での能、「道成寺」を鑑賞した。
「道成寺」は、能の演目の中でも”静と動”のメリハリがあり、人気の演目ではあるものの、一番重い演目(難しい)であり、大曲と言われているらしい。 プレトークでのお話に、期待で胸を膨らませながらの鑑賞になってしまったのだけど、それを全く裏切らない美しい世界観にすっかり魅了されてしまった。
今回の舞台「春秋座」は、本来歌舞伎座であり、そこを最小限のセットで能舞台として使用されていた。 演者が能面をつけるということは、わずかな視界しか残されない過酷な環境で演じることでもある。その究極の環境の中、最小限の動きで、彼方からの声を呼びおこし、そこに新たな世界を構築しなければならない。しかもそこは、慣れている能舞台では無い。 舞台上は、四本の柱、そして背面に藍色のバックパネルが3~4枚あるのみ。 照明、囃子の音色も巧みに使うことで、時間、空間、情景を効果的に抽象化させている。
私は二階席だったこともあり、演者、奏者の配置がよく見え、その美しさに改めて驚いてしまった。演じる際の余白を巧みに活かした美しい配列。シーンの一つ一つが、完璧な構図になっており、その中での最小限で上品な所作。余白の美しさは、どことなく植田正治の”砂丘シリーズ”を彷彿させるようでも有った。一見単調なようで有りながら無限の奥行き・・。 この作品は、話のキーワードとなる釣鐘を、実際会場で釣り上げる場面から始まる。その大きな釣鐘を寺の従者達が竿で持ち運び、冒頭で釣り上げる訳なのだけど、その鐘が取り付けられるまでのシーンですら、息をのむほどの緊張感と美しさが漂っている。立体的な配置も完璧で、まったく無駄が無い。
また、物語の始まり方と終り方ひとつを取っても、日常との強引な境界を作らない自然な演出になっていた為、神秘的な幽玄の世界でありながら、本来私たちの育んできた、時間や空間に対する柔軟な眼差しや感覚を顧みるこが出来たようにも思う。
いま観ても、全く古さを感じない素晴らしい世界だった。
京都芸術劇場 春秋座 (京都造形芸術大学内) 「能と狂言」 2016年 1月30日(土曜) 狂言「鐘の音」 能「道成寺」
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