本橋成一氏の
「屠場<とば>」と言えば、フォトセミナーでご一緒させていただいた〇さんに帰り道、「どのお話が一番印象に残りました?」と尋ねられた。
暫く考えたものの、私の頭は「咄嗟」という出来事に相当鈍いらしく全く出てこない。
それから家に帰りゆっくり頭の中をめぐってみると、暫くしてからじんわりと二つのお話が浮き上がってきた。
一つ目は、
屠場に送り込まれる牛達に「”死”への本能的な恐怖はあるのか?」というお話。
本橋さんがある職員の方に尋ねられた所、返事は”全く無い”ということだったそう。
人は生まれた瞬間から死に対する恐怖を何処か背負ってしまっているようなお話を良く見聞きするし、実際私自身も本能的で直感的な恐怖は漠然と存在するものだと思っていただけに少し愕然としてしまった。
二つ目は、
ロシアのある放射能に汚染された村の井戸水の話。
湧き出ている井戸水は、百年前の水なので今は飲料水として使えるという話もさることながら、その”水”を村の人々が”大地からお借りしているもの”と考える発想がとても自然で尊く思えた。
自分達の体の中を巡っている”水”は大地(天?)からお借りしているもので、いつしか死を迎える時が来たならば、再び大地へお返しするというような発想を代々受け継がれている人々のお話だった。
今回に限ってメモを忘れてしまい、ニュアンスが微妙に違っていたのかもしれない。