少し寂しい春の足音。
できればもう一度ハヤチネへ雪の残るうちに足を運びたかったのだけど、現実にはなかなか難しい。仕方ないから久しぶりにハヤチネのフィルムを現像始めた。
いつもだとフィルムを溜めては一気に現像するのが習慣。今回もまとめて現像しようとも思ったものの、前回雪のプリントで苦労したのが頭をよぎり、1~2本ずつ現像時間を調整しながら様子を見ている。1~2本ずつだと現像ムラもでにくいし、楽しみなひとときが毎日続く。たとえ何も写っていなくたって何ともない。とにかくあの言葉では例えようのない気配と気持ちが少し味わえればそれでいいのだ。そう思うと私にとって言葉とはそんなに重要で無いものなのかもしれない。もっと見て、もっと聞いて、もっと触って、もっともっと体で感じる事の方がずっとずっと広がりを持った何かを感じ取れる様な気がする。
まだ微かしかわからないはずのハヤチネは、気配だけ私の頭の片隅でずっとずっと色濃く漂っている。