先日、京都嵐山へ行ってきた。
と言っても大阪に私用で行ったついでに立ち寄ったものでじっくり回っていない。
ただ一箇所だけとても気になった場所があった。
「化野(あだしの)念仏寺」
紹介文によると
”建立は千年以上昔、弘法大師が野ざらしの遺骸を埋葬したことに始まる”とある。
野ざらしの遺骸・・。
野ざらしの遺骸と弘法大師に惹きつけられこのお寺だけ行ってみる事にした。
化野念仏寺は嵐山の駅から歩く事20分。
周辺は観光地の賑わいから少し遠ざかり、昔ながらの素朴な家屋が立ち並ぶ石畳の通り。
道なりに歩いていくと左に石段があり、ひっそりとお寺が見えてくる。
そこは平安時代以来の葬地であり無数の人達の最果ての地、遠く昔は風葬の地だったらしい。
人が人として特別な扱いではなく、もう少し自然に近い埋葬。
その跡は後に造られた八千体を数える石仏、石塔(ストゥーパ)によって迎えられ、風が静かに眠る人達と私を引き寄せてくれそうな気持ちにもなる。
静かで穏やかな場所。
この下で眠る人達は、雨風の音、日の温もりや雪の冷たさにゆっくり同化しながら静かに地に還って行ったのかな、などと思った。
多くの風化した石仏の前にしゃがみこむとずっと遠い過去の地を想像してしまう。
特別なものが何も無く、人がもう少し自然に近かったかもしれない世の中はいったいどんな世界だったんだろう。