小島康敬「Broughs of NewYork」
新宿ニコンサロン juna21
前回ブログで書こうと思ったけど、私が取り上げなくてもほかの方が紹介されるに違いない・・
というひねくれ根性で紹介は控えた。
今回書こうと思ったのは、自分なりの解釈がまとまったような気がしたから。
小島さんは、NY在住で私とは「夜の写真学校」の同期だ。
前回の個展では人のスナップ中心だったが、今回は無機質になりきらない風景。
叙情的でもなく冷たくも無く淡々としている。
一見なにげに見えるNYの日常とも一味ちがう。
繰り返しになるが、寂しげでもなく暖かくもなく狙った写真とも微妙に違う。
初めは、「哲学的」の言葉で片付けようと思った。
しかし何かがある気がして二回足を運んで小島さんとも話したりしてみた。
NYで一人写真を撮るとは、
響きは物凄くいいのだけど・・・
想像を超える孤独とストレス悩みが付きまとっているに違いないと思う。
それなのに小島さんはいつお会いしても飄々としている。一見そんなかげを感じない。
芯が強いのか。意思がつよいのか。
私ならば写真一枚一枚に辛さを吐き出そうと試みたかもしれない。
しかし彼は逆に写真にストレートに出さずに自分の内に秘めて耐えているように観えた。
かすかに寂しく感じなくもない写真もあるのかもしれないが、淡々とした中に芯をしっかり持とうとする気持ちのようなものが写真の中に感じられた。
それが一見つかみ所の無いように見えるかも知れない写真なのだろうか?と思った。
プリントももちろんストレートでかなり綺麗。真っ直ぐに勝負している感じ。